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「温故知新」卓話③

更新日:2022年5月3日

長谷川衛会員 ~入会時の思い出~



60周年記念卓話 「温故知新」その3   長谷川 衛 会員 令和4年3月1日に我がクラブの大先輩であります長谷川衛会員に昭和61年に入会当時の大和クラブが会員数110名を誇る全盛期の風景や血気盛んな会員の様子を語っていただきました。聞き手は冨岡会員です。

冨岡会員:皆様こんにちは。前回に引き続き「温故知新」をテーマに卓話をお願いします。本日は、長谷川会員にお願いします。クラブの歴史について様々な話をして下さい。 長谷川会員: 1986年に入会したころは約110名の会員数でした。初代会長の車体工業社長の永野様が在籍されていました。雲の上の方でした。商工会の業務部会の方が大半を占めていました。お世話になっていました川島様の紹介を断れませんでした。当時大和クラブは敷居が高く、私は大和クラブに認められた思いもあり入会しました。バブル景気、プラザ合意があったことです。土地などの価格が3倍に高騰して取引していたような時代です。融資も盛んで、円安ドル高な状況が入会当初から5年間くらい続きました。当時は大矢会長と山本幹事の年度で、私は例会前に早く会場に行き、たすきをかけて来場する大勢の会員に挨拶を毎回行って、顔と名前を覚えてもらったのです。例会出席100%が基本でとても厳しかったことを覚えています。大和の3クラブの事務局を受け持つ高橋さんがクラブの仕事に多大な協力をしていただきました。彼女は会員や家族の名前や誕生日までよく覚えていました。親睦委員会の家族会の下見などにもマイカーを運転して同行していただき、とてもパワフルな方でした。 (写真を写しながら)野郎会は箱根に1泊で行いました。古木さんはだんだん服を脱ぐくせがあり、最後は裸踊りをしていました。堀ピンさんはボクシング、石田会員は合気道が得意で、よく技をかけられました。けがをしないように上手く遊んでくれました。2008年の台湾のクラブへの表敬訪問には息子と行き、お酒は半分くらい断るように伝えましたが、よく飲んでいました。強面のマネージャーがいるピアノバーに行き、長い時間歌を歌ったことを覚えています。とにかく今と違って景気がよく、会員が元気でよい時代でした。 時間となりましたので、以上とします。皆様ご清聴ありがとうございました。 (この卓話は令和4年3月1日の例会で発表されました。)




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