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「温故知新」卓話②

更新日:2022年5月3日

眞鍋藤正会員~入会時の思い出~






令和4年1月25日に我がクラブの大先輩であります眞鍋会員に昭和51年にクラブに入会した時からの懐かしい思い出を語っていただきました。聞き手は冨岡会員です。

冨岡会員:皆様こんにちは。前回に引き続き「温故知新」をテーマに卓話をお願いします。本日は、眞鍋会員にお願いします。眞鍋会員ははっきりものを言って下さる方なので期待しています。大和住まいも長いので様々な話をして下さい。  眞鍋会員:本当は、宮東会員が道岸会員の次に古いのですが、本日は私が卓話をやらせて頂きます。杉並区出身で、その後満州にわたり、大和に越してきました。全部父(外務省勤務)の仕事の関係です。高校時代までは真面目に過ごしていました。まだ、大和銀座が出来る前の話です。  私がロータリーに入会したのは1976年12月。小澤会長、入内島幹事の時で、翌春には、創立15周年記念行事に参加しました。1947年から大和に住んでいるので、市内各所に知人がいた関係   で、入会以前の会長幹事の皆様も若干触れさせて頂きます。永野初代会長、車体工業の社長で、前回話に出てきた事務局の高橋さんは永野社長の秘書を務めていた方でした。その方と親しく話をしたのは、81年幹事を仰せつかり挨拶に伺った時だけです。後年、様々なクラブにお伺いして、クラブの性格は設立時の特別代表と設立委員の指導で決まると実感しましたが、大和RCの設立時特別代表は、藤沢RCの河合さんで「例会には一番いいスーツを着なさい」と指導されたそうですが、色々と指導していただいたとおりに大和RCは育ちました。永野会長にはいろいろとご指導を賜りました。2代目幹事れさせて頂きます。永野初代会長、車体工業の社長で、前回話に出てきた事務局の高橋さんは永野社長の秘書を務めていた方でした。その方と親しく話をしたのは、81年幹事を仰せつかり挨拶に伺った時だけです。後年、様々なクラブにお伺いして、クラブの性格は設立時の特別代表と設立委員の指導で決まると実感しましたが、大和RCの設立時特別代表は、藤沢RCの河合さんで「例会には一番いいスーツを着なさい」と指導されたそうですが、色々と指導していただいたとおりに大和RCは育ちました。永野会長にはいろいろとご指導を賜りました。2代目幹事の佐々木幸男さんは、佐々木和夫さんの父君です。3代目高橋会長とは親しく話はしなかったが、幹事の曽我さんは、湘南高校の先輩で、後に、大和に湘南高校校友会を設立する際には、こき使われました。5代目白石会長は、岐阜県でRC会長を務めた方で、5代蒲生幹事、6代目鈴木幹事のお二人は、大和銀座通りの開拓者。9代目芦田会長は銀座通りの電気屋で、高校時代に、鉱石ラジオ作成の指導をして頂いた方。12代星会長は外科医で、大和中RC設立時の特別代表で、チャーターメンバーに膨大なロータリーに関する資料を読破させ、クラブの礎を築いた方です。13代土屋幹事は、自分の中学時代の英語の恩師で、私の同級生のノーベル賞受賞者、根岸英一さんも教え子の一人です。  15代小澤会長の幹事を務めた入内島さんは、厚木高校時代、弁論大会で県下に勇名を馳せた方。16代小武会長は、現ソウル大学薬学部卒。仁川からの引揚者で、現地に知己が多いこともあり、東仁川RCとの姉妹クラブ締結がされました。17代河嶋会長の幹事が、最長老の道岸さんです。18代町田会長は、南林間で五丸屋というスポーツ用品店を営んでいた立教ボーイ。19代齋藤会長は、当時大和最大の産婦人科医院の院長。20代中里会長は当時大和唯一の上場企業の社長で、私が幹事でした。会長就任当時、ロックウエル社よりM&Aを仕掛けられ、その防戦に日夜大奮闘で、例会出席もその日にならないとわからない状態で、21代河嶋会長が大変苦労されていました。 、22代小澤会長は岡田幹事に助けられ、大和市議との二足の草鞋をなんとか履きとおした。23代薩田会長、宮東幹事の時に台北七星RCとの姉妹クラブ締結の話が持ち上がり、25代横澤会長の時に締結に至った。この時の幹事が任期中途で急逝され、道岸さんが急遽再登場となった。台北七星RCとの熱き友情の礎が、この時に築かれた。  時間となりましたので、以上とします。皆様ご清聴ありがとうございました。 (この卓話は令和4年1月25日の例会で発表されました)


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